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いっぺん氏んでみる?
2006/1/31

気がつくと古ぼけた駅前百貨店を思わせる建物の正面駐輪場にいた。
昭和50年代風のススぼけたコンクリ剥き出しの汚れた建物で
客の姿はほとんどみない。

何を買いに来たのかのかはわからないが寒いし店内へ入ろう。
せっかくやってきた正面入り口は閉鎖されていて、
戻って自転車を停めた側面より先の入り口まで行かなくてはならない。


建物に沿って角まで歩いた時、2階の踊場から警備員のおじさんが
顔を出して話しかけてきた。


「こちらの方が近いですよ」


角にあるコンクリ剥き出しの非常口のような螺旋階段を昇ると、
地下鉄でみるような巨大な金属柱を横倒しにした丸太橋が
2階の向こう岸へと渡してある。

その冷たい金属柱の上に抱きつきながら進んでゆく。
下をみると吹き抜けで、地下街のベージュなタイル廊下がみえる。
もし2階分のこの高さから落ちたら助からない…

じわじわとしか進めない上に危険で後悔した。
これなら回り道をした方が安全で早かったんじゃないだろうか(汗)


なんとか無事に2階へ到着。踊場から建物内へ入る。
中は低めの天井に店がポツポツ並んでいる。

角にある狭いリサイクルショップの店を覗いてみる。
様々な中古雑貨を眺めていると、
見覚えのある小動物の未開封エサが陳列してあり手にとる。
ん、これはリス用に買ったけど、使う必要がなくなったので
この店に売ったんだった。

あれ? 待てよ。
売ったのに代金を受け取っていない!
とっても不満な気持ちになり、
このまま万引きして取り戻してやろうかという衝動に駆られる。


でも思い留まった。
リスクを犯して持ち帰ったところで役にはたたない。

店から出る。
1階へ降りてみよう。正面の階段へ向かう。




1階へ降りたと思ったが、どうやらこの階段は地下へ続いていたようだ(汗)
地下鉄駅の地下街ホールのような場所へ出た。
そこへ簡易な長机を並べ、スーツを着たサラリーマンが数人
パイプイスに座って受付をしている。就職セミナー受付のようだ。
話の内容までは聞き取れなかったが、就職活動中と思われる何人かの
スーツ姿の学生が、受付の前で人事担当の説明に頷いていた。

ふとみると、知らない会社の机に自分の名を書いた申し込み書が
置かれているのが目に入った。受付前の申し込み書の山の一番上だ。
申し込みした心当たりはないし、知らない会社に就職する気なんてない。
人事担当と思われるサラリーマンがよそ見をしてる間に、
その申し込み書をスッと抜き取る。気付かれなかったようだ。

不思議な事に、その申し込み書に書かれた名や字は自分の筆跡だった。
書いた憶えはないのに…


地下から地上へ出る外階段を見つけたので出る事にする。
階段を昇ると一番最初にいた正面駐輪場へと戻ってきた。


自転車置き場へ向かい、自分の自転車を牽き出して帰る事にする。


MTBのギアがもの凄く重い。
帰り道、古墳下の短いトンネル前の坂を必死で漕いで上る。
トンネル内は平坦だ。
しかし幾分マシになったとはいえ相変わらずギアは重い。
トンネルを抜けると緩やかな下り坂だからそれまでの辛抱だ。

トンネルを抜け、「もう大丈夫だ」と安堵感をもって下る。
と、その先で大学時代から会ってない友達にたまたま出会う。
同年くらいの顔の知らない女性も一緒にいる。カノジョのようだ。
しばらく立ち話をした後、自転車に乗って帰ろうとした時…





目が覚めた!


全力疾走をした直後のように心臓がバクバクしている。




なんだ?なんだ!?

ひょっとして俺、今、息停まってた?
それとも心臓が停まってたのか??








もしかして今みた夢って…





あの世?(汗)

シャトルちゃま移転
2006/1/29

ドリキャスの製造中止後、長年続いてきたドリキャス向けのHP
及び諸々の独自サービスが、ついにこの2/15をもって終了
で、ノスタルジーに浸っていたわけです。

ドリキャスや初心者でもウェブ上だけで簡単に更新できるよう
機能は限定、予めスキン素材などが用意され、構成は共通単純化。
今流行のBlogの原点のような内容だった。
それ故、自由度が低く、初心者向けなのになぜか日記はタグ専用で不便だったけど…

このドリキャス対応のHPスペースのお世話になったのが
私が初のHP運用をしたシャトルちゃま


代わりに、時代に合わせblogサービスが開始。
これまでの日記と掲示板ログは移行をサポートしてくれます。
それならバックアップとって残すよりも楽だという事で移行手続き。

んで、移行して確認のため改めてblogを読み返すと
忘れていた当時の事や気持ちを思い出して懐かしい…
しかし誤字も多いし文も稚拙で恥ずかしいのもさることながら

誰この坊ちゃん(汗)

我ながら能天気で無防備な甘ちゃんだったなと思う…
反省のためにも残せて良かった。
ただ、殺伐とした毎日で忘れていた楽しむ気持ちは思い返したかな。



…と、ここで問題発生!


■画像やリンクまでは移行対応していなかった。
■旧日記はタグ専用だったため、
 タグが影響して文字の大きさなどレイアウトが崩れまくり。
 タグの閉じ忘れで滅茶苦茶になってる部分も!


結局、手作業で全ての日付をチェックして画像リンクをやり直し
タグの調整をする(汗)
その作業中、更なる問題がみつかる!!


■移行で文の『〜』だけが抜け落ちてる


語尾を延ばしてるのが消えてる分には大きな問題ではないので
「だよね〜」→「だよね」とか
面倒だからそのままにしようかと思ったのだけど
大きく意味が変わって放っておけないものがっ!

例えば…


コーナー3〜4箇所」が「コーナー34箇所」に増えてたり
ゴッキー2〜3匹」が「ゴッキー23匹」なんて
恐ろしい光景に変貌(;´Д`)


これでは流石にマズイので、元ページが消滅しない内に
また全部の日記の『〜』をチェックして修正する事に(汗)


結局普通にバックアップした方がマシだったヽ(`Д´)ノ




そんな作業の繰り返しでカウンターが回っていたのか…


blog1位になっちゃった(゚∀゚)




ズルじゃねえ!ヽ(`Д´)ノ不可抗力だ

プロジェクト
2006/1/28

バブルの足音が近付く1984年。
まちょの家に初期型ファミコンがあった。
1983年に登場したファミコンは発売当初、人気は低迷。
製造中止が囁かれる中、本体やソフトは半額近くで叩き売りされていた。
弟がそれを購入した後まもなく、ブームが起こった。

1987年春。
日本は空前のファミコンブームに沸いていた。
本体は品薄で強気の定価売り。
人気ソフトは行列が並び、クソゲとの抱き合わせが日常茶飯事だった。
皆取り憑かれたようにゲーム屋へ向かい、こぞってソフトを買い漁った。


その中に、ある一人の男の姿があった。
これは、まちょが人生初のネットに触れた物語である



♪風の中のス〜バル〜 砂の中のギ〜ンガ〜



まちょはアーケードゲームの移殖モノが好きだった。
家庭用で練習すればゲーセンで長く遊べ、使う金額を節約できる。
雑誌の評価の裏を読み取り、移殖度の高いものばかりを厳選して購入。
FC版エグゼドエグゼスに騙された痛い経験からだった。

当時ハマっていたアーケードゲームはファンタジーゾーン
シューティングゲームに掟破りのアイテム購入性を導入。
FM音源によるリズムのよいサンバ調のミュージック。
まだ、アーケードさえ原色の強い硬派なゲームが多かった中
パステル調の可愛いグラフィックが多重スクロールする姿に感動した。
そのどれもが斬新で新鮮だった。

このゲームの表現は52色しかないファミコンでは到底不可能だ。
色数の少ないファミコンでは表現が不可能なものが増えつつあった。
そのファンタジーゾーンセガmkIIIで発売され話題となった。
大容量と謳われたFCディスクシステムと同じ容量の1Mカートリッジ。
当時これ以上のものはなかった。

まちょはセガmkIIIを手に入れた。
弟の友達の中古を安く譲ってもらったモノだった。
出来はイマイチと思ったが、念願のファンタジーゾーンをやりまくった。
不可能だと言われたスペースハリアーの移殖に衝撃を受けた。

買ったmkIIIソフトの数はファミコンの倍以上になった。


まだ世間がドラクエ2で沸いてる時代、ファンタシースターをした。
ディスクシステムの4倍の容量を持つ史上初の4Mカートリッジ。
中身がチップで詰まってズッシリと重かった。

FM音源が奏でるBGM
アニメーションして攻撃してくる敵モンスター
なめらかな3Dダンジョン
パスワード不要のバックアップセーブ。

性能を限界まで引き出し、全てがファミコンのレベルを超えていた。
最先端を行くセガの技術力に震えた。
破格といわれる価格で良心的だった。
アーケードトップメーカーの意地と底力をみた。


まちょはセガ信者となった。
メガドライブ発売日は買いに走った。
10本に満たないスーパーファミコンのソフトに対し
部屋の棚に積み上げられたメガドライブのソフトは百本を数えた。

技術が進みサターン時代には、ファンタジーゾーンや
かつて追い求めていたアーケード完全移殖はほぼ全て手中にした。

満足した。




1998年年末。ドリキャス発売。
毎回セガハードは初期出荷数が需要に満たず、
発売日に手に入れるのが至難の業だった。
メガドラもメガCDもサターンの時も、いつも走り周って探した。
それまでの経験からドリキャスは予約した。

同時発売だったはずのセガラリー2は発売が延期していた。
手元にはハードと一緒に購入したバーチャファイター3tb
画面が綺麗で驚いた。ついに家庭でここまで出来る時代がきた。
ワクワクしながらスタートボタンを押した。



…つまらなかった。

格闘モノはサターンのVFシリーズを散々やった。
VF3は綺麗になってもプレイ自体の目新しさがなかった。
すぐに飽きてしまった。

しかしハード発売直後。他に代わる面白いソフトが出てない。
期待のセガラリーの発売予定は年を跨いだ。
最新の機能があるのに遊ぶべきソフトがない。
途方にくれた。


まちょはドリキャスの横面に標準装備されているモデムをみた。
無駄な装備だと思っていた。


セガはメガドラやサターンの頃からモデムをオプション投入していた。
しかし、ことごとく失敗。
セガはいつも時代の先を走りすぎると言われていた。

ネットに興味はあった。
しかし通信費が怖く手を出さなかった。
月々の通信の金を払うなら新しいソフトが買える。そう思った。

サターン用ネットを雑誌で調べた事があった。
解像度が低すぎて表示ページ全体が見渡せない。
モデムは通信速度が当時主流のPCの半分しかなかった。
不満点の方が大きく手を出しあぐねていた。
しかし本格的にやるには当時20万円以上するPCが必要だ。
とてもそんな金を出す余裕はない。



ドリキャスは自社プロバイダテスト中でISP料金がタダだった。
電話代だけで済む。大きな魅力だった。


試してみよう。
つまらなければやめればいい。
少しでも無料期間を長く遊ぶなら早ければ早い方がいい。
まちょはすぐにキーボードを買ってきた。
電話線を繋ぐ。


驚いた。


日本中だけでなく世界中の情報が手に入り生の声がきける。
調べたい事は検索すればすぐにみつかる。
世界が大きく拡がった気がした。



ハマった。



これは凄いと思った。
僅か3万円のゲーム機でこれだけの事が出来るとは思わなかった。
間もなくドリキャスのキーボードは品薄となった。品薄は半年続いた。
パッドで入力するドリキャスネットユーザーの悲鳴が聴こえた。
セガの周辺機器が手に入らないのはいつもの事だ。
これまでの経験から素早く手に入れた事に優越感をもった。

当初2ヶ月と言われたプロバイダのテスト期間は延びに延び、
気がつけば1年半もタダだった。

最初、有料になればやめるつもりで始めたネットは
課金後も喜んで料金を支払うようになっていた。
楽しさの余りテレホ時間外に繋いだら電話代が月2万円を越えていた。

ビビった。


購入したソフトはこれまでのセガハードで最も少なかった。
しかし1本1本の密度が濃かった。
1年以上遊べる飽きにくい良質ソフトが多いが故だった。
ソフトの数に反し、ドリキャスはこれまでのセガハードで最も稼動した。
それはゲームだけではなく、ネットマシンとして動いたからだった。




ドリキャスがなければ、私のネットデビューは3年遅れていただろう。

後に、まちょはそう言った。


あの時始めなければ出会えなかった多くの人がいた。別れがあった。
楽しい事や人生を揺るがす悲しい事があった。
そのどれもが貴重な経験となった。


♪語り〜継〜ぐ人も〜な〜く 吹き〜すさ〜ぶ風の中へ〜


折りしも出口の見えない不況。
無縁だと言われたゲーム業界も不況となった。
赤字だったセガは家庭用ハードから撤退。
お家芸の破格な良心価格が裏目にでた。
ブロードバンド普及を待たずして、ドリキャスは製造中止となった。


ドリキャスのネット仲間たちは皆、PCへ移って行った。
宿敵PS2へ寝返る気はしなかった。メーカー体質が嫌だった。
皆を追うように、まちょもPCへ移った。
時代はPCの価格を半分へと下げていた。

♪ヘ〜ッドラ〜イト テ〜ルライ〜ト 旅は〜まだ〜おわらない〜〜

それどこのエロゲ?
2006/1/27

世間には某死刑囚やハーレムおぢさんのように
何度もケコーンする者もいれば、
ケコーンしたくても全くできない人もおります。



指さすなヽ(`Д´)ノ



ふっふっふっ、しかーーし!


実は私は絶対ケコーンできる呪文を知っているのですよ( ̄ー ̄)
使ってないだけで

しかも私はハーレムおぢさんのように隠したりしません。
幸せというものは皆で分かち合うものです。
この貴重な呪文を皆に教えてさしあげましょう。


さあ、難しいことは何もありません!
コレをたった一言相手へ唱えるだけで、あなたもハーレム(≧▽≦)








「できちゃった(*ノノ)」

リコール
2006/1/26

最近リコールをよく目にします。

そうです、乳性炭酸なあのドリンク。






それはスコール




2004/2/3日記で、甥っ子への誕生日プレゼントに贈った
クマのぷ〜さん わたがし機が、規格外の部品を使用してたのが発覚。
火を噴く恐れがあるため、回収返金と相成りました(汗)


リコールで最近有名なのは、松下が石油ファンヒーター
日本中へ大々的に宣伝しているリコール返金。
しかし、これはなかなかウマイ戦略だと思います。

本来ならメーカーとして汚点でもありマイナスイメージを植えつける
リコールはできれば目立たせたくないのが経営者の心情。
しかし松下の製品なら、ぐだぐだ言い訳などせず素直にこれだけ手厚い
サポートを行うんですよ!! と、日本中にアピールして
その潔さと、言葉だけではなく実際に巨額の金をかけ行動し
真摯な態度を示すことにより、逆にこの会社の好感度と信頼度を
上げているのです。

ああ、松下の製品ならもし万が一不良品を手にしてもサポート万全で
他社より安心だ、と消費者へ訴えイメージを植えつける事ができる。

考えても見てください。
生命に関わる欠陥だとはいえ、すでに販売から14〜20年も経ち
実際、暖房器具の消耗から考えれば現役稼動してるものは少ないはず。

イメージを上げるための広報費込みと思えば、地味にただリコールして
評判を落とすだけよりも効果的と計算したのでしょう。
どのみちお金がかかるのなら、このミスを生かしてやろうと。
そう考えれば、本来なら汚名であるはずのリコール報告広告を
販売数を遥かに超えた過剰と思われるほどの数で
大々的に日本中へバラ撒いて何度も叫んでいるのも頷けます(゚ー゚*)

さすがは天下の松下の戦略といったところか。
トップをとって慢心し、評価を落としたどっかの芸術家気取りの
メーカーとは一味違う。
松下幸之助の教え子たちは侮れない(汗)


最近、次から次へと隠蔽を露呈しニュースを賑わしてるような
悪意漫々の企業は論外として
仮に気をつけ万全を期していると思っていても、
人が関わる以上、ミスは必ず起こるもの。
それは防ぎようがない。
只、そういったミスに直面した時、ごまかしたり開き直ったり
言い訳に終始した態度や渋々やる対処で、更に会社を危機へと陥れる
無能な経営者もいれば、ピンチをチャンスへと変え、
汚名返上どころか逆に信頼を上げてしまう、頭のキレル経営者もいる。
こういった賢い経営者こそが本物の成功者の器を持っているのでしょう。


という、お話を…

ミスの絶えない我らが某管理会社に役立てて貰えるよう
ささやかではありますが、この場所にて贈りたいと思います(笑)

本日のE型まっちょ
2006/1/9

無常だ…


何の事かわからない人は昨年&一昨年の同日日記をみよう(=゚ω゚)ノ

運などと言うものは…
2006/1/1

いかに歌謡曲や演歌に新曲がでないとはいえ、使い回しどころか
他人の曲をカラオケさせる紅白に絶望(;´Д`)
いっそ、この1年の新作アニメソング対決でもやらせた方が
盛り上がるんじゃないかと思った2005年の締め。
昨年100本くらいアニメ製作されたらしいし(汗)

どれかの通勤電車に仕掛けられた核弾頭を捜しだすという任務をいきなり
初夢で与えられ、みつけて解除するか一刻も早く遠くへ離れるかの葛藤で
新年の目覚めから殺伐としてしまった、まちょです。
皆さん、あけましておめでとうございますm(_ _)m
相変わらず更新ののろい日記ですが本年もよろしくお願い致します。

あ、リモコン爆発なので皆さんに知らせて逃げるという
選択肢はありませんヽ( ´ー`)ノ



さて、正月といえば毎年恒例のアマツおみくじ。

今年はいちいち感想述べず、ざっといきます。←手抜きいうな

健康運

勝負運

金運

恋愛運

そして総合運



3年分の運勢を並べてみると…

2004年 2005年 2006年
健康運 大凶
勝負運 大吉 大吉
金運
恋愛運 小吉
総合運

3年連続総合かよヽ(`Д´)ノいやもうぜってー仕組まれてる


更に今年のおみくじには例年にはない謎の選択が、
『?』

「さわっちゃダメ(*ノノ)」と書いてる自爆ボタンのごとく、
いかにも興味をひくように主張しております。


あえて、のせられましょう( ̄ー ̄)ぽちっとな


おみくじ結果と同時に

巫女さんが9999ヒールを!


どうやら、クリスマスキャロルのデビルチと似た感じで
くじ結果次第で速度や呪いなどがかかるようになっている模様。

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